自宅への帰り、電車が駅に着いた。降りようとしたら、久しぶりの旧知の友人を見かけた。同じ駅で降りるはずなのに、彼は座ったまま。思わず声をかけると振り返ったのは、まったく知らない人でした。
似た人がいるもんだな、とその時は思っただけだった。随分前の話です。
でも後になって、これは「見間違え」ではなかったと気づいたのです。
脳は世界をそのまま見ていない
認知科学には、「予測コーディング(predictive coding)」という考え方があります。
脳は外の世界をそのまま受け取っているのではなく、過去の経験から「たぶんこうだろう」と先に仮説を立てて、現実との差分だけを処理している。
なぜそんなことをしているのでしょうか。
毎回ゼロから見ていたら、処理が追いつかないからです。脳は省エネのために、先に答えを出している。
あのとき、友人の後ろ姿を見た瞬間に、脳はすでに「あっ、彼だ」と決めていたのです。確かめる前に。
これを「錯覚」と呼ぶかもしれないけれど、脳のバグではない。
高速処理のための仕様の、副作用のようなものなのです。
視覚情報が網膜から脳に届く際、外から内へ向かうボトムアップの信号より、脳から感覚野へ向かうトップダウンの信号の方が数として多い。つまり私たちは「見てから判断する」のではなく、「判断してから見ている」に近い。そういわれると不思議な感覚です。
ハクスレーの「知覚のバルブ」
この「省エネ」という話を聞いたとき、むかし読んだオルダス・ハクスレーが、『知覚の扉』で書いていた一節を思い出しました。
ハクスレーは、人間の脳や神経系を「知覚を制限するバルブ」に例えている。脳は生存に必要な情報以外を遮断するフィルターとして機能している、という考え方です。
世界には膨大な情報が溢れている。
でも私たちはそのほとんどを受け取らない。
受け取れないのではなく、バルブで絞っている。
感覚器官の大事な働きは、開くことではなく、
閉じて抑制することだ、とハクスレーは言う。
認知科学の予測コーディングと、ハクスレーのバルブは、同じことを別の言葉で言っているように思います。
脳は世界を見ているのではなく、世界の「もっともらしい仮説」を生成し続けている。
バルブを全開にしたらどうなるか
では、そのバルブを全開にしたらどうなるのか。
仏教的な解釈では、感覚を全開放した状態が「悟りの境地」。
フィルターなしに世界を受け取る。予測なしに、ただ見る。
そのために生涯をかける気には、正直なれません。
ただ、「自分が見ているものは、脳が作り出した仮説かもしれない」と知るだけでも、見え方に少し余白が生まれるでしょう。
古い予測モデルに気づいたとき、それを「自分の思い込み」として責めるのではなく、「脳が一生懸命、世界を予測しようとした結果だ」と思えるようになる。
その余白が、視覚OSをアップデートする最初の一歩になるのです。
視覚OSのアップデートとは、この予測モデルを意識化し、少しずつ書き換えていくことです。その具体的な方法を、13セクション53本の動画にまとめました。

